キリスト教の原罪と癒やしについて
或いはワインの話し
今日はある一人の哲学者、思想家の考え方を紹介します。
シモーヌ・ヴェイユという1909年から1943年に生きたフランス人の女性哲学者の書いたキリスト教の原罪と癒やしについてです。
①原罪とは?
原罪とは?
原罪とは何でしょうか。
原罪とは人間が初めにおかした罪をさすことであるとシモーヌは考えました。
人間が初めにおかした罪とは。つまり神の命令に背いたこと。
旧約聖書の創世記には二つの果樹が出てきます、つまり「知恵の果樹」と「生命の果樹」のことです。
神はアダムとエヴァに、エデンの園にある他の果実は食べてもよいが「知恵の実」と「生命の実」だけは食べぬようにと命令をしました。
だがアダムとエヴァは蛇にそそのかされ「知恵の実」を食べてしまう。
結果として何が起きたか、『アダムとエヴァは眼が開き、お互いの姿を見て、恥ずかしく思った。そして衣服を着るようになった。』
お互いの姿を見て恥ずかしいと思っていることを神に見抜かれ、アダムとエヴァは衣服を与えられエデンを追放されました。
シモーヌはこれが原罪だと考えます。
②唯一、義しいひとだったノアの話し
唯一、義しいひとだったノアの話し
創世記から話しを進めると、ノアの話しになります。皆さんご存じの「ノアの方舟」のノアです。
神は多くのひとびとがいつも悪いことばかりを考えている姿を見て悲しんでいました。
しかし唯一ノアだけは義しいひとだと神は考えていました。
ノアはまた初めて葡萄の木を育て葡萄酒を作ったひとだとしても書かれています。
そしてノアは葡萄酒を飲んだ初めてのひととなります。
唯一義しいひとであったノアはどうなったか、『葡萄酒を飲んだノアは天幕の中で衣服を脱ぎ、裸の状態で立っていました。』
シモーヌはここにひとつのヒントを得ます。
③キリストの最初の奇跡
キリストの最初の奇跡
更に聖書を読み進むとキリストの最初の奇跡が出てきます。
キリストが参加した結婚式では葡萄酒がふるまわれていましたが、時間が経ち葡萄酒は樽の中から無くなってしまいました。
そこでキリストは樽に水を詰めるように言い、その水を葡萄酒に変えました。
キリストの最初の奇跡は『水を葡萄酒に変えたこと』でした。
④原罪と癒やし
原罪と癒やし
話しを原罪に戻しましょう。
原罪とは何だったでしょうか?
『最初に神の命令に背いたこと』その結果として『眼が開き、恥ずかしいと思って、衣服を着るようになった。』ことでした。
神から唯一義しいひとだと思われたノアには何が起きたでしょうか?
『唯一義しいひとであったノア』には『葡萄酒を飲み、自分が裸でいることが恥ずかしくなくなった』ということが起きました。
このふたつの話しには相反することが起きています。
原罪の結果として衣服と恥ずかしさが生じた。
義しいひとは葡萄酒を飲んで恥ずかしさがなくなり衣服を脱いだ。
つまりは癒やしとは恥ずかしさが無くなり衣服を脱ぐことであるとシモーヌは考えました。
だからキリストの最初の奇跡は水を葡萄酒に変えたことでした。
三段論法的なまとめ
三段論法的なまとめ
現代社会に生きるわれわれは、おそらく社会的な衣服(自分の属性、権力、など)をすべてはぎ取られたら恐らくは恥ずかしくて死んでしまうでしょう。
しかし本当に美しく義しく生きるためには社会的な衣服を脱ぎ去る必要があります。
社会的な衣服を脱ぎ去っても恥ずかしくなくなるためには葡萄酒を飲んで癒やされる必要があるのかもしれません。
それが原罪への癒やしなのであれば。
キリストの最初の奇跡は水を葡萄酒に変えたことだった。
キリストの最期の奇跡は葡萄酒を神の血に変えたことだった。
以上、シモーヌ・ヴェイユ(Simone Weil)のひとつの考え方の紹介でした。
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